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精神の向上

2011.09.30.13:11

中学生のとき自分なりに考えた生きている意味の答えが「精神の向上」でした。
宇宙には、大きくて大きくてものすごく大きな黄色い光の塊みたいなまるいものがあって、魂はそこからお借りしているもの。
自分の中にはそんなイメージがあり、死ぬとそこに魂をお返しするんだけど、生きている間にほんのちょぴっとでも、精神を向上させ、それからお返しする・・・そんな風な死生観を持っていました。

生まれ変わりはあってもなくても、(信じても信じなくても)どっちでもいいと思っていますが、私は信じています。
その大きな光から、魂を借りてまた生まれ変わるとき、隣の魂というか光との境界線が厳密に引かれているわけではないので、100パーセントまるっきり同じ魂が生まれ変わるわけではないんだろうな~なんてこともぼんやり思っていました。

私は戦争の話が苦手です。
豊か過ぎる想像力のせいで、いちいちリアルに自分の身に置き換えて想像してしまうため、ものすごく苦しくなります。
はだしのゲンも一生読めないでしょうし、ほたるの墓も一生見ないと思います。
無関心なわけではなく、見聞きして無関心でいられる自分ではいたくないし、追体験をして戦争の悲惨さを感じたとしても、それがもっと大切な次なる一歩へ繋がることとも思えません。

確か小学生のころの話です。
ご近所さんのとある会主催の映画に誘われ、きょうだいの中で何故か私だけが母と見に行きました。
戦争の映画でした。
実写です。電話交換手の人たちが最後まで仕事して、最後は自決する話です。

この映画のいろんな場面が頭から消えてくれるのに、私は何年も何年も10年以上かかりました。
戦争は反対です。でも悲惨な映像や言葉を柔らかい子供の脳に恐怖とともに植えつける意味はまったくわかりません。
むずかしい問題ですね。確実に残さなければいけないこと、風化させてはいけないことだと思いますが、情に訴えるというのは、なんとなく大事な部分がそれていってしまうような気がします。
でも、国語の教科書に一年に一度出てくる戦争の話は好きでした。静かで淡々としてて。

話がずれました。ごめんなさい。

それで学校で習う悲惨な歴史も嫌いでした。
戦争も嫌ですし、飢饉とかも苦手です。
今は平気で餓えに苦しむ場面や死体なんかが出てくる話もむしろ好んで読んじゃう自分が笑えます。
(殺人物は嫌いですよ)

そんな私がある日ふと、生まれ変わりを思いついたのです。
きっと私は何回も何回も生まれ変わっていて、その中の一回くらいは戦争で死んでいっただろうし、餓えて死んでいっただろうし、農民一揆もしただろうと。
教科書の挿絵の死体の山の一人は私だったのかもしれない。

そう思ったら、すご~く楽になりました。
その理不尽の中で死んでいった人たちの無念や苦しみをいちいち想像し、どうすることもできない歴史的事実の前に、無力な自分と何故か罪悪感をいちいち感じていたのですが、そうか私だったのか、私も死んでたのね、って思えた瞬間、いちいち悲しまなくなりました。
だって、死んだのは私なんだから。

長くなりました。
ずっと書こうと思っていたことをやっと書きましたが、うまくまとまりませんね。
書きたいのは、最近読んでる本の話なのですが、いろいろが自分の中ではつながっているので、順番としてこれがはじめです。
では、みなさん御機嫌よう~。今日も読書三昧。
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